コスモス畑

野の花

2025年05月12日 09:37

今、吉浜のおじいちゃんの銅像の周りにコスモス畑が広がっています
長年区の方や地域の方々が定期的にお掃除をして下さっていました。
ここ数年は地域の方も高齢化して、お掃除ができない時期が時々ありました。
今年の初め頃・・・銅像のお向かいの島袋さん(元:島袋刺身店さんのおばあちゃん)が
銅像前の石畳が見えなくなるくらいに広がってしまった草を数日かけて
丁寧に取ってありました。

それから数日後・・・今度はご家族お二人で銅像回りに広がっていた
雑草を毎日1つ1つ丁寧に取ってありました。
その後・・・
地域の公民館の皆さん、地域の皆さん(島袋さんご家族さん)有志の方
が、銅像回りの木々を伐採したり、土を掘り起こし、石を片付け
見違えるほどとてもきれいにして下さって、コスモスの種を植えていました。
それから軽トラで水を運んできて水まきをしたり、手入れをして下さいました。
こうして今、きれいなコスモス畑になっています。


幼いころ保育園の向かいの「吉浜さんのおじいちゃんの像」について、
よく家族や地域の方、吉浜さんから聞いていました。
「地域のために尽くした方」とこの記憶が薄れないように書きますね。


吉浜加那 氏を(吉浜のおじいちゃん)と呼んでいます。色々調べてみると分かりやすく書かれていたのを引用しています。
亜国移住 開拓者 吉浜加那翁像
 平安名出身(明治16年生まれ)の吉浜氏は、1908(明治41)年6月18日、
ブラジルのサントス港に入港した笠戸丸に乗っていた日本初のブラジル移民の中の一人です
(781人のうち沖縄出身は325人)。
 翌年には、沖縄人として初めてアルゼンチンに入国し、20年近く現地で働きました。
その間に氏は故郷・平安名から多くの人々を呼寄せ、同村の発展に尽くしたということです。
 この胸像は、アルゼンチンから20年後に帰村したあとも、村民の尊敬を集めた吉浜氏を讃えて
設置されたもので、1972(昭和47)年1月9日、盛大な序幕式が挙行されました。
・・・・とありました。今は後ろの字が薄くなり読みづらいのです。
小さい時に銅像でよく遊んでいたので、吉浜さんの(保育園向いの)おじいちゃんということは
分かっていましたが(よく銅像の周りに座って遊んでいました。)
その中で一番のお気に入りが入口に設置されていた2匹のペンギンでした。
(現在は1羽は体が残っていますが、もう1羽はペンギンの土台だけになっています)
外側は陶器のようで、触ると「つるつるのペンギン」以前は何でペンギンなのかな?
と素朴な疑問でしたが、よく考えると地球の裏側にあるアルゼンチンに航海していくとすれば
海を横断すると考えると、きっとかわいいペンギンをおじいちゃんは見たのだと思いました。
像を建てるとすれば・・・登り口に設置するとすれば・・・
もしかしたら本人の好きなペンギンなのかもしれません。(個人的な考えですが・・・)
その時代どのような航海ルートだったのでしょうか
沖縄初の大航海、沢山の村民の想いを胸に、その「志」こころざしに直接触れたくなります。
とても興味深いです。

それから約50年近くが過ぎ、草で埋もれてしまったこの場所を1人のお掃除から始まり
あっという間の数か月の内に、地域の方々が参加し始め、種植えや水まき(水をタンクで運び)
今では、子どもたちも立ち寄るほどのステキな場所へ変わっていきました。
吉浜さんは本当に素晴らしいですし、この石垣を掃除した島袋さんも素敵だな~と思います。

丁度花が満開になる時期でしたので子どもたち皆でお出かけしてきましたので写真を
載せますね。ご興味のある方、吉浜さんの像の裏にはそのことが記されていますので
読んでみてくださいね。そしてアルゼンチンのご親戚がいましたらどうぞよろしくお伝えください